子どもは詩人のように言葉を使う

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「子どもとの会話には独自のルールと意味がある。」

今回読んだ本、ハイム・G・ギノット著『子どもの話にどんな返事をしていますか?』に書かれていました。

 

さて、ここで問題です。

「だれが、このオモチャ、こわしたの?」

という子どもの質問に、皆さんはどう答えるでしょうか……?

 

 

【伝えたいメッセージは暗号化されている】

多くの人は、

「分からない」

「誰だと思う?」

「誰だっていいでしょう」

「○○くん、じゃない?」

などのような回答を思いついたのではないでしょうか。

 

つまり、僕たち大人は子どもたちの質問の「だれ?」という部分に着目して答えようとするのです。

 

上記の回答を補足すると……、

「(誰がやったのかは)分からない」

「誰だと思う?(……自分で「誰が」やってしまったのか考えてごらん)」

「誰だっていいでしょう(知らない子がやったんでしょ、あなたには関係ないでしょ)」

「○○くん、じゃない?(○○くんはいつもモノを壊して先生に怒られているから)」

 

しかし、子どもたちが求めている答えは別にあるのです。

それは、「誰がやったのか?」ではなく、「オモチャを壊した人は、どうなってしまうのか?」ということが知りたかったのです。

 

 

【事実よりも気持ちを先に察する】

「だれ?」という質問に対して「だれが」を答えるのは、事実の提示です。

大人同士の会話であれば、とても明瞭でスムーズな会話でしょう。

しかし、子どもは多くの場合、因果関係の確認を求めているのです。

 

大人であれば、因果関係を確認せずとも自分で推測することは可能でしょう。

一方、子どもは、因果関係を自分で構築し、推測することがまだ難しいのです。

つまり、「だれがやったのか?」ということではなく、「オモチャを壊した人は、どうなってしまうのか?」ということが知りたいのです。

 

ハイム・G・ギノット氏の回答は

「オモチャは遊ぶためにある。ときどき壊れるものなのだよ」

と、誰がやったかには言及せず、また、壊れてしまったという事実に憤慨せず、子どもの質問を優しく受けとめるような回答です。

 

これは、ミスをしてもすぐに怒らず、真意を汲み取るという姿勢を子どもに示しています。

 

「誰かがオモチャを壊した」という行動に着目するのではなく、「オモチャを壊した子どもがどうなってしまうのか」という子どもの不安な気持ちを察し、まず先にその感情へ反応し、対処してあげることが大切なのです。

 

 

【Today’s Book】

 ハイム・G・ギノット(2005)『子どもの話にどんな返事をしていますか?』、草思社